次にやろうと思ったこと

ここ10年くらいかけて「人が自信を持って生きるためには何が必要なのか」を追い求めていました。

 

きっかけは大学時代に国際協力について勉強していたときのことです。

 

私は実家が裕福という訳ではなく一馬力のシングルマザー家庭だったのでなんでもかんでも得られる環境ではありませんでしたが、親が教育の重要性を認識していたことと、「お金のない家の子供でも教育を受けられるように」と願って作られた支援が官民問わず色々な組織によって作られていたことから、私は無事大学生になり好きなことを好きなだけ勉強できる自由で楽しい日々を送っていました。

 

沢山の人が自分に手を差し伸べてくれたお陰でその楽しさがあったから、自分も人が幸せに生きられるためにできることをしていきたいと思いました。それが自分の責務だと感じていました。

 

いいことはみんなで分け与えよう。私は誰かが分け与えてくれたもののお陰で楽しくて幸せな今があるから、私も人に幸せになれる種を分け与えよう。そう思っていました。

 

それでこれまた幸運なことに、在学中に途上国へ行って色々なことを勉強させてもらえる機会を得たんですね。

いくら座学で勉強したって人を幸せにするためには相手と直接関わってよく知らなければ本質的な解決策を見つけることができません。それで「これ幸い!」とばかりにバビューンと飛び立ちました。

 

生まれて初めて降り立った国で思ったことは「人は言うほど困っていない」ということでした。

 

いや、困り事がなにもないわけではないですよ。「お金がなくたってモノがなくたって幸せそうだった!」と言いたいわけじゃないんです。人が生活していたら色んな悩みや困り事が出てくるのは当たり前ですから助け合いは必要です。

 

ただ、日本にいる私が常に助けて「あげられる」わけではなく、途上国にいる人々が常に「不足していて誰かから助けられないといけない」立場でもないと思ったんです。

 

どこの国でどう生きていたとしても、各々やりたいことやできることに向き合いつつ、必要なときに必要なものを「お互いに」分け与えつつ共生していったらそれでうまくいくのではないかと思いました。

 

人は常に支援者であり続けられるほど強くないし、常に支援を受ける側であり続けないといけないほど弱くもありません。

 

実際、先進国での豊かな暮らしは途上国から搾取してきたものによって作られ維持されている要素もありますから、私たちは最初から他者からの恩恵を受けており、国として他国に支援したからといって「一方的に与えている」とは言えません。

 

実は「与え合い」に近いような流れは自体は最初から今まで常に存在し続けているんですね。ただそれが今のように搾取と支援というかたちで固定されるのではなく、色々な国や地域がフェアに関わりながら場面場面で助け合い支え合い学び合いながら共に生きればいいと思ったんです。

 

だから私は「途上国だからここが問題だ」というところはあまり気になりませんでした。

 

もちろん途上国だからこその困難は存在するんですよ。存在するんですが、それに関しては絶対的な正解がある訳ではないので私の立場から「こうあるべき」と言えるものではなく、他の人の立場からも「こうあるべき」とは言えず、そんな答えは誰も知らないし、みんなで助け合う中で現地の方々が望む形でよくなっていけばいいことだと感じました。

 

私が現地で一番気になったことは「人はどうすれば自信を持って生きられるのだろうか」という、別に日本にいてもどこにいても関係なく人間全てが抱えている葛藤についてだったんです。

 

どういう土地でどういう文化でどういう風習の中、どんな言語を使い何を食べてどんな仕事をして生きていたとしても、自信があれば幸せでいられるし、色々な手段を検討しながら本人の心が満たされるようなことを目指すことができる。逆に自信がなければどこで何をしていても辛い。そう思ったんですね。

 

「人の生活をこういう状態に持っていくべきだ」という正解はなくて、生活のかたち自体は本人が納得できていればなんでもいいんだろうけれど、「このかたちが自分にとっていいんだ」と認識したり「今のかたちは自分には合わないから変えていきたい」と思って踏み出したりするためには自信が必要です。

 

だから人が幸せになるためには自信というものの存在が鍵を握っている。このときから私はそんなふうに感じていました。

 

大学卒業後は再び幸運が舞い降り、また色々な方々のご協力のお陰で国際協力の道に進むことができ、でき、でき…かけましたが、就職後即刻体調を崩し持病が発症しなーんもできんくなりました。

 

なーんも、なーんも、なーんもできんくなったんです。

 

これまで培ってきたもの全てが奪われたみたいで、何かを新しく得ようにも体調が悪いので何をしても上手くいかず、何が自分を満たしてくれるのかも分からないからあれもこれもかき集めようともがいて、あれもこれも手元に貯まっていかずに嘆いていました。

 

自分の細胞すら手元にないかのようにバラバラに感じるのに、心も体も尋常じゃないくらい重くて暗くてしんどい日々を送ってきました。

 

自分の外側にあるものが何も維持できなくなって自信がなくなっちゃったんです。自分が自分だと思っていたものに裏切られたみたいに感じて、どれが自分なのかも分からなくなっていました。自分のことが一番信じられない状態になっていました。本当にハチャメチャしっちゃかめっちゃかな日々が長く続きました。

 

ここで6年くらいかけて(6年のうちほとんどが苦しんでるだけに等しい状態でしたが)、色々あり、色々、そう色々、本当に信じられないくらい色々あり、自信なんてひとつもなく今後も取り戻せなさそうだった私が、あれやこれや思いつくこと思いつかないことなんでも手を出して100も200も失敗しているうちに、なんだか上手いこと自信を取り戻すことができました。

 

ゼロからやり直せたお陰で、ほとんど全ての失敗パターンを経由したお陰で、外部の何かに頼って解決することも全然上手くいかなかったお陰で、運に見放されたお陰で、私は人が自信を持って自分を満たせるようになる方法を遂に理解しました。「これならどんな環境にいる誰でも自力で実践できる!」というものを見つけたんです。

 

しかしこの方法はシンプルだからこそすごく難しくて「誰でも実践できるけど誰でも結果を出せるレベルに行き着けるわけではない」と察しました。

 

「私はすごいからできたけどみんなはすごくないからできない」と言いたいわけではありません。ただ、人の性格も考え方も関心分野も生活スタイルも多様なので、これをそのまま伝えたところでみんなに本質を理解される訳ではないし、みんながそれに取り組みたいと思う訳でもないし、みんながその取り組みのためにエネルギーを割ける訳でもないと思ったんです。

 

「あ〜自信があればみんな幸せになれると思ったけど、自信を持ってそれを維持する方法を広めるのは無理だなぁ〜」と思った私は、答えを見つけられた満足感と達成感といい感じの区切り感により「もう人生満足や!」と割り切ってしまって、生きてても死んでてもどっちでもいいやくらいに思うようになっていました。

 

そんなときに初心者向けの仏教の本に出会ったんですよ。

 

そこには「釈迦が悟りを開いたとき、これはみんな理解できないと思って涅槃に入ろう(現世を離れよう)と思ったけれど、神様に『みんなのために教えを説いてください』と言われてそうすることにした」といったことが書いてあって「え!なんかちょっと気持ち分かるねんけど!」と思いました。

 

(仏教について初心者向けかつ簡易的に説明している書籍を読んで自分がそう記憶したというだけの話なので、正確な内容とは違う可能性があります。気になる方はぜひ仏教について学んでみてください)

 

お釈迦さんはその後亡くなるまでの約50年間、教えを説くことに注力し続けたそうなんですね。

 

これがもし「2,3年で『やっぱ意味ない』と思ってやめました」と書いてあったのなら私も「そうか〜意味ないかあ」と思っていたかもしれませんが、50年も継続したということはそこにやり甲斐があったんだと感じられて、自分ももうちょっと頑張ってみた方がいいのかな〜と考えられるようになりました。

 

さて、このときちょうど「そろそろ新しい仕事をしようかな」という前向きな気持ちが頭に浮かぶようになっていました。

 

国際協力の仕事を病気で辞めてからも色々な仕事にチャレンジしていて、その度に体調を崩して中断したり辞めたりしていたのですが、色々あったりなかったりして人間不信も募ってきてなんかもう限界だったので、今年の8月に「普通の人」として生きるのを一旦諦めたんです。

 

SNSを徐々に消していって、どこにも所属せず精神的に社会から離れてほとんどの時間をひとりで過ごし、フラフラゆらゆらと生きていました。

 

それで色々考えているうちに、先述の通り自信を取り戻して、健康状態も改善してきて「お!今ならまた働ける!」と思えるようになったんですね。

 

(後から感じたことですが、私の場合は働けない時期があったことも意味があったと思います。当時は辛かったですしもう戻りたくはないですが…)

 

今年秋頃から「ひとりでハンドメイド作家として生きようかな〜」と準備していたのですが、ずっと自宅でひとりでコツコツ作業するのがそこまで合わなくて、ハンドメイドは趣味で楽しみ販売できそうな作品は販売して誰かに作品を楽しんでもらいつつ、やっぱり多少は人と交流する仕事もしたいかなと思うようになっていきました。

 

(でもこの経験はすごくよかったです。コツコツ作業する中で自己理解が深まり病気の辛さを改善していくことに役立ちましたし、人の手に渡るものだと思って作品を制作していると色々なことに気をつけられてすごく上達できたので、今後も自分のペースで続けたいなと思いました)

 

「再びどこかに所属して人と接しながら働いてみよう」と思ってからは、体調のことがあるのでまずはシフトを自由に組めるバイトから始めることにしました。ネットで色々な求人情報を調べているうちに、近所の大型商業施設で大きなもちもちクッションを売っている会社の求人を見つけました。

 

もちもちクッションの求人には「ノルマはありません。お客様に楽しんでもらいながら接客してください!」という内容のことが書いてありました。

 

うーん確かに…。このもちもちクッション、生活にあってもなくてもどちらでもいいものな上に、かなり大きくて場所を取るし値段も高いんですよ。だから何気なく気軽に買う人はあまりいないと思いますし、「買わないと将来困るかもしれませんよ」と人の不安を煽ったり、「今買ったら得できますよ」と人を焦らせたりしたら全然売れないだろうなと思うジャンルの商品なんです。

 

その代わりに、お客様に「うわ〜!このもちもちクッションがあったら生活がより楽しくHappyになりそうだあ!」という多幸感や安心感を与える必要があります。きっとこのお店は、本当の意味で人の笑顔を作れないとモノを売れない場所なんです。

 

このもちもちクッションの実物を持っている知人や友人もいるのですが、すごく気に入っていて満足しているみたいなんですね。

半端な接し方では意味がなく、人を楽しみ満たして初めてモノが売れ仕事の成果が生まれるという部分に「ワクワクする!ぜひ挑戦したい!」と感じました。

 

早速バイトに応募して後日面接を受けることにしました。もちもちクッション販売が楽しみすぎて、まだ受かってもないのに毎日イメトレしました。

 

最初はただ単に「時給もらえるの嬉し〜」と思って、その仕事が私の人生に大きな意味を与えてくれなくても別にいいや普通に頑張ろうバンガロー♪♪と思っていたのですが、イメトレを重ねるうちに「こういう仕事が本当にできたら自分のやりたいことにとって意義がある学びを生んでくれるのではないか」と思うようになってきました。

 

先程「せっかく自信を持てる方法を見つけたけれど、難しいのでこのまま人に伝えても多分理解されない」と書きましたが、楽しく人に何かの魅力を伝えられるスキルを身につけたら、のほほんとした安心感を伴うかたちで自分の発見を人に伝えられるようになるのではないかと思ったんです。

 

「難しいことは考えずにただ楽しく幸せに存在していよう」というリラックス感を生むもちもちクッションのようなかたちで、人に大事なことを伝えられるようになるのではないかと感じました。

 

難しい内容を難しくないように、みんなが楽しくラクに「やってみたい〜」と思える形に変換し、明るく包み込むように伝えられるようになりたいと閃きました。

 

それでもう、まだ面接を受けていないし受かってもないのに今テンションあげあげです。2023年までは苦悩と葛藤の連続であり、私は以前の私よりずっと賢くなりましたが、2024年以降は気楽に気軽に、楽しくフワフワと、軽い「ゼロの存在」として突き進んでいこうと思います。

 

ゼロの存在でも実践できることであれば、他の人でも「やってみたい!」と思えるでしょう。

 

まだクッション販売のバイトに受かれるかは分かりませんが、ダメだったら類似の仕事をなんぼでも受けたらいいんです。新たな目標が見つかってよかったと思います。今年はありがとうございました。来年もよろしくお願いいたします。