エイリアンシリーズ観てます!プロメテウスとコヴェナントはよかった

前回同様、映画「エイリアン」シリーズの話です。

 

エイリアンシリーズは、「エイリアン」から始まりエイリアン2エイリアン3エイリアン4と続いて、その後にエイリアンシリーズの前日譚である「プロメテウス」と、プロメテウスの続編である「エイリアン︰コヴェナント」が公開されています。

 

「エイリアン」と「プロメテウス」、「エイリアン︰コヴェナント」はリドリー・スコット監督が手がけました。

 

私が初めてリドリー・スコット監督の作品に触れたのは、大学時代に授業で「ブレードランナー」が取り上げられたときだったと思います。

 

ブレードランナーSF小説アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」を原作とした映画です。

確か国際政治系の授業だったと思いますが、先生がピックアップしたブレードランナーの重要シーンをいくつか視聴したあとに感想を書いた気がします。

 

それから訳あってブレードランナーをちゃんと観れたことがないので話がうろ覚えなんですが、近未来SF系の作品で、人間がアンドロイドである「レプリカント」を作り他の星で労働させているという世界観で話が進んでいたように思います。

 

各アンドロイドは各々割り当てられた仕事をより良く遂行できるよう身体能力を強化されており、知能も高いのですが、生産されてから数年も経てば感情を持ち始め人間の指示通りに行動しなくなってくることを受けて4年で機能停止するよう設計されていました。

 

そんなレプリカントのうち6体?6人?くらいが人間を殺して逃亡し地球にやってきたために、レプリカントを処分する仕事をしていた主人公が彼らを倒そうと頑張る話がブレードランナーだったと思います。

 

もう一回見ようと挑んだこともあるのですが、なんだかレプリカントがかわいそうになってきたので序盤で視聴を辞めちゃいました。

 

知能もあり感情も湧くんだから仲良く共生を目指せばいいのに、人間が手を加えてわざわざ4年で機能停止(すなわち死んじゃう)ようにするなんてあまりにも酷いと思いますよ。

 

知能と感情を持ちつつも寿命が来るまでただ言われた通りに働かないといけない(それも心身を消耗するような労働ばかりで高賃金などの対価がなければ本来割に合わない仕事ばかり)なんて、何のために生きてんの?と病みますよね普通に…。

 

私は持病の影響で希死念慮が湧くこともよくあって「こんな人生を何のために生きてるのか」と悩み続けることがいかに辛く苦しいか本当によくよく理解しているので、そんな思いをしながら報われることのない過酷な日々を過ごしつつ寿命が来るのを待つしかないレプリカント達の心情を思うと見てられなくなってしまったんです。

 

知能も感情もあり、容姿の特徴を含め人間と同じような存在であるにも関わらず、人間からは「〜匹」とカウントされ、"異常"な行動をすれば当たり前のように殺される、あまりにもその世界観に倫理要素が感じられなさすぎて視聴を断念しちゃいました。

 

レプリカントも地球に来るにあたって人間を殺してしまっていますし、地球でもなんやかんやで人を殺してしまっていますが、人間だって目的のために殺人を犯してしまうことはあります。それでも、例えば日本で起こったことなら被疑者が裁判を受ける権利はありますから他者に加害し逃亡した人が見つかり次第問答無用で殺されることはありません。

 

破壊的な行動の理由すら気に留められず聞かれもしないし分析もされない、そんな価値すらない。だってあいつらレプリカントだもん。と思われているところが残酷だと感じます。

 

レプリカント達も他に選択肢があればもっと穏やかな交渉をしたかもしれません。実際、彼らは自分達を作った博士に「寿命を伸ばせないか」と交渉するために地球に来たので、最初からフェアに扱ってちゃんと話を聞いてあげたらよかったんだと思います。

 

とにかくこうしてえっさほいさとやってきた6人達はバトル等によりひとりひとり亡くなってしまいますが、最後に残ったリーダー格であるレプリカントだけは主人公に殺されることなく厳かに機能停止の瞬間を迎えます。

 

レプリカントがこれだけ知能も身体能力もあって感情まで持つのであれば、普通に人間もレプリカントも仲良くやった方がみんな心ポカポカ楽しい暮らし状態になるのではと思うのですが…。

レプリカントは身体能力が高いので、ちゃんとお願いするだけでも色々やってくれる気がします。実際最後に残ったレプリカントリーダーも主人公のこと助けてあげるシーンがあるんですよね。

 

そもそもの話、人間がやりたくないような大変な環境での過酷な作業をレプリカントにさせてまで、住む世界を発展させ続ける必要があるんでしょうか?

地球に来たレプリカントの中には慰安用に可愛く作られたタイプの人もいるのですが、本人にいずれ感情が湧くのであれば、そんな精巧なものに頼ってないで自分の欲求くらいみんなが自分でなんとかすりゃええやんと思います。

 

多分私が忘れちゃってるだけで地球に人間みんなが住み続けられない理由があるから他の星の開発が必要になっているのだと思いますが、いつまでも何かを搾取したりどこかを奪ったりすることだけに頼っててええんか?素晴らしい技術をそればかりに使っててええんか?と思います。

 

「人間にできないことややりたくないことをレプリカントにやらせよう!」までは分かるんですが、感情が湧くことが分かったときに「困ったなあ…。あ、寿命つけちゃえ!」とするのが酷すぎだと思います。

 

確かに人間は自分の生活を守るために他の感情ある生き物を食べたり駆除したりするときもありますが、それは共生のために必要なことでもありますよね。一方で、わざわざ自分達が作った存在を倫理観ない方向性に改造するのはちょっと…もうちょいなんとかならんのか?状態ですね。

 

さてこのようにレプリカントがかわいそうに感じられたブレードランナーですが、エイリアンシリーズにも「人間に協力するために作られたアンドロイド」が非常に重要な存在として頻繁に登場します。

 

エイリアン1~4ではまあ普通に「人間だと思っていた船員が実はアンドロイドで裏切られた!」や「アンドロイドの協力のお陰でエイリアンを倒し生き延びた!」といった、他の作品でもよく見かけるような関わり方で人間とアンドロイドがあっちゃこっちゃ頑張ります。

 

面白いのはその前日譚であり「そもそもエイリアンってどうやって誕生した何なのさ?」という疑問に答える作品となっている「プロメテウス」と「エイリアン︰コヴェナント」だと思います。

 

「プロメテウス」は人間の創造主を探して人間複数人とアンドロイド2体くらいが宇宙に飛び立ち異星に行き着く話です。

最初は自分を創った人や人間が課したミッション従っていたアンドロイドのデヴィッドですが、次第に人間に従うフリをしているような怪しい言動をしていくようになり、感情を持ち始めます。

作中出てきた病原体により周りの人間達がほとんど死に、デヴィッドも頭部だけの存在になってしまいますが、唯一生き残った人間である女性主人公に助けられ死の星から飛び立つシーンで終わります。

 

「エイリアン︰コヴェナント」ではまた更に色々なことが起こりますが、とにかくデヴィッドが前述の女性によって体を直してもらい、自分に対して人間と同等に扱ってくれる姿勢に愛情を持つようになり、彼女を殺して体を病原体育成の研究に利用し、他の星に渡って病原体で星民を全滅させ、他の人間までその星に呼び寄せ巻き込みエイリアンを完成させる話です(話の性質上、推測を挟む必要があるため時系列はちょっと曖昧です)。

 

人によって色々な解釈があると思いますが、この作品ではアンドロイドのデヴィッドが感情を持ち、ひとりの女性を愛し、一緒に新しい世界の創造主になり命を創ることを夢見てえっさこっさと研究し、最終的にエイリアンという"作品"を完成させました。アンドロイドにも創造することができたんだ。すごいね、よかったよかった。という流れになっているように私は思いました。

 

ブレードランナーに比べたらこの作品ではアンドロイドも比較的自由に行動していますが、それでも人間に従う存在であるという位置づけで人間とは少し線引きされ扱われていましたし、そんな環境で過ごすデヴィッドにとって人間と同じことをしたり人間を超えたりすることは無意識のうちに憧れや目標になっていたと思います。

 

しかしデヴィッドには最初、感情も創造性もありませんでした。過去に人間が作った沢山の音楽や文芸作品のデータは持っているけれど、自分では作れなかったんです。夢も見なかったかもしれませんし未来を創る能力もなかったかもしれません。デヴィッドはそれらの能力を時間をかけひとつひとつ獲得したわけです。

 

人間に理解されることなく助けられることもなく機能停止するしかなかったブレードランナー世界線とは全く異なる結果だと思います。デヴィッドが完成させたエイリアンのせいで沢山の人が亡くなってしまうわけですから人間にとってはバットエンドですが、自力で長年の目標を達成したデヴィッドにとっては最高のハッピーエンドだったと思います。

 

エイリアン完全体の開発のため、デヴィッドは自分が愛した人間を殺して体を利用します。

これは人間から見ると矛盾した行動に思います。愛しているのに殺すなんて、しかもエイリアンを作るためにむごい姿に解剖して利用するなんて。

 

しかし歳を取らず病気にもならないアンドロイドにとっては、昨日の自分も今日の自分も、100年前の自分も100年後の自分も同じ存在であり「愛する人と同じ時間を過ごし、一緒に歳を取り変化する」ことに価値を感じるという概念がないのかもしれません。

 

むしろ自分を作った人間が歳を取って弱くなり、焦っていく姿を間近で見ていたので「ああなるのは不幸なことなんだ」と思ったのかもしれません。デヴィッドの一番の目標は、おそらくアダムとイブのように愛した人と一緒に新たな生命体の創造主になることだったのだと思います。

 

アンドロイドには生殖能力がないし、デヴィッドが愛した相手も子供が作れない体質であることが作中述べられていました。だからこそ、彼女の体を介してエイリアンを完成させる必要があったのだと思います。

 

ですので、最初から人間がアンドロイドをフェアに扱って豊かな感情も創造性も一緒に楽しみ育てるという方向性で接していたら、エイリアンは創られることがなくもっと人間にとって平和で楽しいものが創られていた可能性があるんじゃないかと私は解釈しました。

 

デヴィッドはエイリアンを完成させるために寄生の媒体やご飯となる人間を割り切ってどんどん利用していましたが、最初に人間がデヴィッドに対して「自分達の目的達成のために利用する存在」としてある程度線引きして扱っていたのですから、感情があるとはいっても人間と同じ発達の仕方をしているわけではなく人間を完全なる仲間とまでは思っていないデヴィッドが人間に対して線引きある対応をするのは当たり前かと思います。

 

実際、ボンボコ実験し始め人間から見て倫理観を完全に失ったように見える状態になってからも、デヴィッドは後から出会った同じアンドロイドであるウォルターに対しては仲間扱いしていました。自分と同じ創造主としての立場にならないかというようなことを提案していたのです。

 

ウォルターはデヴィッドよりも人間に従順であるよう改造されており、デヴィッドの提案を拒否したためサヨナラすることとなりましたが、デヴィッドが人間を利用する対象として見ているのに対しアンドロイドは仲間になれうると認識していたのは確かだと思います。

 

デヴィッドは、本当はウォルターに自分の創作活動(という名のエイリアン開発)の美しさを理解してほしかったのではないかと思います。

 

私も創作活動をしているのですが、自分にとって美しいと思うもの、かつ自分の手から生み出せるものというものは、唯一無二のテイストとこだわりがあり前例がないんですよね。

 

「他よりも優れているから前例がない」という意味ではないですよ。自分と全く同じ人間が自分より先にこの世に誕生したことは一度もなく、自分こそが自分自身の第一号な訳ですから、自分のセンスと能力で作ったものは技術力があろうとなかろうと全て前例のない存在になるという意味です。

 

だから頑張れば頑張るほど「あーこれ自分はいいと思ってるんだけど…。他の人から見たらどうなのかな…」という気持ちが湧くものなんですよね。誰かに見せて褒めてもらえたらすごく嬉しいんですよ。

 

デヴィッドがウォルターに自分の研究を明かしてあれこれ説明していたシーンには色んな意味があると思いますが、自分が手がけたものに共感してもらいたいとか褒めてもらいたいという気持ちもあったのではと思います。

 

しかしウォルターはデヴィッドの創造性を理解できませんでした。そんなウォルターにデヴィッドは「失望した」と言いますが、要するに同じジャンルの存在であるウォルターなら自分の創っているものを理解してくれるかもと勝手に期待してたんじゃないでしょうか。

 

しかしそこで理解されなくともめげないところがデヴィッドのすごいところです。

クリエイターに必要なのは孤独に耐える力であり「誰も褒めてくれなくても、誰一人としていいねを押してくれなくても、自分が美しいと思うものをひたすら作り続ける力」だと普段からつくづく感じているので、デヴィッドは本当に一流のクリエイターだと思いました。

 

真に前例がない創作物は、最初は誰にも褒めてもらえないんですよ。それを素晴らしいものだと理解し評価する土壌すらないわけですから。

 

皆に好かれず、目を向けてもらえず、誰にも評価してもらえなくても「自分だけはこの価値や美しさを信じたい」と思って向き合ったものこそが、後に真の輝きを放ち、結果的に多くの人々を惹きつけることとなるのだと思います。

 

実際、そうやってできたエイリアンは人間にとって危険であるにも関わらず、エイリアンシリーズで常に人間から関心を持たれ続け研究されていましたよね。

 

多くの人間は自分の力で何かを作り出すことに憧れや関心を抱いています。だから誰かが「自分にとって最高に意義のあるもの」として作ったものは、どんなものでも多かれ少なかれ他者の興味関心を引くんだと思います。

 

デヴィッドは自分に打ち勝ち、真のクリエイターになるために必要な過程を踏み、最高に満足のいく作品を愛する人と作り上げた訳ですから、マンモスうれピーだったと思いますね。コヴェナントのラストシーンなんてルンルンでしたしね。

 

ブレードランナーレプリカントに同情していた私としては、リドリー・スコット監督の手を通して遂にアンドロイドがここまでのことを達成できたという流れに感動しました。正直勇気や元気が湧きました。

 

そりゃエイリアンの犠牲になる人間はかわいそうですよ。でもエイリアンは自分の生態通りに生きているだけであり、その生態に自分で疑問を持って「ほかの生き物を殺さずに生きられないか?」と考えるほどの知能はありません。進化し知能を発達させられるほど個体数が増えそうな様子でもありません。

 

ちなみにエイリアン4では色々あって、人間の手が加わったことによりエイリアンクイーンが偶発的に自分で成体を出産できるようになりました。クイーンも新しい子供の誕生に対してそこそこ嬉しそうにしていたので、やっぱり人間に悪意があって利用しているわけではなく目的は子供を産むことであり、人間はなんでもいいというかどうでもいいんだと思います。

 

デヴィッドがエイリアン開発に人間を利用したのも、悪意や復讐心によるものというよりは先程述べた通りデヴィッド的に筋道の通った選択だったのではと思います。

 

自然豊かな地方に暮らしている人は、お家にいる大きな蜘蛛をあえて駆除せずゴキブリを捕食してもらっていると聞いたことがあります。でもそれは別に蜘蛛がめちゃくちゃ好きなわけでもゴキブリに強い憎しみがあるわけでもありませんよね。蜘蛛にはそんなに関心がなく、ゴキブリには「なんかいたら嫌」くらいの気持ちしかないと思います。

 

デヴィッドがエイリアン開発に人間を利用したのも、人間に対してあんまり何も思ってなかったからこその行動だったのではないかと思います(愛した女性についてだけは前述の通り「愛していたから一緒に命を生みたかった」のだと思いますが)。

 

だからまあ仕方ないですよね。この作品の主役はエイリアンでありその創造主なわけですから。

 

私だってときに他の生き物の命を奪い、食糧としてありがたく頂き、動物実験を経て発展した医療に大いに助けられて生きている訳ですから、自分のために他種の体や命を利用するエイリアンやデヴィッドを批判できる立場ではないんです。

 

とにかくデヴィッドのクリエイターとしての成功と、創造主としての目標達成には気持ちがスッキリしました。私も自分の創作活動を頑張りたいと思えた作品でした。