長い文章が好きなんです

世の中に生きる人がコンプレックスとしているものは多種多様だけれど、わたしのコンプレックスのひとつに「文章が長すぎる」というものがあります。

 

何かを差し出されて「これに対して抱く思考や感想をできるだけ長い文章にして出してください」と言われたら優勝できるだろうと思うくらい、とにかくひとつの刺激に対して抱くものが常に大きすぎるし、長すぎるというのがコンプレックスなんですね。

 

だって今の世の中端的で刺激が強いものが好まれるじゃないですか。わたしが常にこだわっている(あるいは執着せざるを得なくなっている)ような、あるのかないのか分からない、どうなのかこうなのか分からない、でも「少なくとも私はこう感じたんだ」というような長い気持ちなんて誰も求めていないんですよ。

 

でもわたしが他者の気持ちを受け取るときも、やっぱり長さを求めてしまうんです。短いことばの中から受け取れるものは限られるからもっとこの人を知りたいと思うし、「この人の力になりたい」と思ったらできるだけ沢山のものを提示してもらえた方がありがたいんですよ。

 

それが整理されている必要性はないんです。分かりやすくなくてもいいんです。ただありのまま、浮かぶことをできるだけ沢山教えてほしいんです。わたしの言葉が世界に不必要なのは分かってるけど、世界の言葉が私に必要なときはあるんです。

 

言葉じゃなくてもいいかもしれません。目線や仕草でもいいです。分かった気になって、人のためになった気になることが一番好きではないんです。他の誰がどう思ったとしても目の前にいるその人が自分らしくなれる瞬間を作れることが私にとっての望みです。本当にすごく難しいことですが…。