人に寄り添うのは難しい

私はいつまでも「自分のことを分かってくれなかった誰か」のせいにして怒って呪って恨んでいたくはないんです。世の中にあるありとあらゆるもののなかで自分がコントロールできるものはたったひとつだけ、自分の言動のみです。だからどんな問題にも、自分の感情を大切にしつつ最終的には「じゃあ自分はどうするか」を考えるまでに行き着きたいんです。

 

他人に対して「あいつはバカだから」とか「あいつが悪い」と100%決めつけてそこで話を終えたい訳ではなくて、誰にだって変えられる点はあると思っています。改善するキャパシティがないときはあえて問題から距離を置き休むこともひとつの手ですが、「悪い人が変わるべきであり悪くない人は変わらなくていい」とは思っていなくて、現状に不満がある人が変わるしかないと思っています。

 

だから私は誰の味方でもないですし、誰の敵でもありません。みんな「もし自分が変わりたいならor環境や人を変えたいならこうするといいんじゃないか」と変化できる点はあるし、変化するのが嫌だったりできない事情があったりするなら一旦何もしなくていいと思っています。

 

何もしない間は好転しないかもしれないけれどそれは仕方のないことだから、自分が何も変えていない以上は周りの環境や人が以前と同じように自分を理解してくれないままでいることを恨んでも仕方ありません。休息を取ってから、あるいは立ち止まって思考を整理してから動いた方がより効率良く好転させられることもありますから、動と静のメリットとデメリットを比較して自分で判断すべきだと考えています。

 

どこで何をしたとしても、周囲や環境がその人に合わせてくれない面もあるのは当然だから、そこは場ごとや行動ごとのメリットとデメリットを理解しながら自分で納得するか変わるかしないといけないよ、と思ってます。自分に対しても他者に対しても。

 

そういう考え方は自分にとっても苦しいときがありますよ。常に自分に対して批判的な目を持つ必要がありますから、自信を維持できないこともあります。

 

でも納得いく生き方ができないのもそれはそれでもっと苦しいことなので、いつかスッキリするために悩みや苦しみの中でもがかないといけない期間が私にはどうしてもあるんです。

 

そういう私の考え方に対して怒ってくる人がたまにいるんですよ。みんな「私は苦しい!あいつが悪い!」と言ったら、一緒に「そうだそうだ!あいつが悪い!」と言ってくれる人が欲しいんだと思います。人間にとって理解や共感は安心を作るから。同じ怒りや恨みに浸ってくれる仲間がほしいだけなのに、私がそれと違うことを言ってしまったら、私は敵認定されてしまうんです。

 

でもごめんなさい。私はそういう性格じゃありません。人がより自分らしく生きられるよう共感による安心感を与える努力はし続けたいけれど、付き合いきれない感情もあります。辛くても孤独でも、どこかで自分でブレーキをかけないと恨みや怒りの連鎖からは解放されない場合があります。

 

だから私は誰かにとっての"安心"を上手く与えられない時があるし、逆にその種の"安心"を与えてもらっても嬉しくありません。この世に絶対的な正しさはないから、自分の外にある何かに縋りそれを理解しない人に攻撃的になるのではなく、自分がどんな信条や美学を持って生きていきたいかを真摯に追求すべきだという思考につい偏ってしまうんです。

 

私も他人に対して「その人が本当に求めているものを与えたい」という欲があるのでできるだけ相手が欲しがっているものが何なのか理解しようと努めていますが、大抵の人は自分が悩んでいる時に「自分は他人を分かりたいのか、それとも他人に分からせたいのか」のどちらに寄っているのかを理解していないので、本人が理解できてない以上はこちらも正確に判断できなくて、たまに間違ったものを出してしまい怒られ拗られ落ち込むことがあります…。

 

でもまあそれも仕方ないと思います。誰だってなりふり構ってられない心境の時はありますし、いつでも誰にでも気を遣いすぎる必要はありません。できるときにできる人が我慢したり受け止めたりしたらいいんだと思います。こういう経験から自分が学べることは、人に何か打ち明けたり話したり相談したりするときはまず自分で自分の内側にある目的を理解して、「最終的に何が欲しいのか」が相手に伝わるように意思表示をしつつそれを上手く与えてくれそうな人に話すと良いということですね。

 

私が上手く対応できなくて混乱させてしまった相手には申し訳ないですが、そういうパターンをより沢山知ることで他者から求められていることや自分が求めていることを理解する精度を上げることもできます。

 

私自身は今は誰にも怒ってないし恨んでないんです。自分自身にすら一旦怒らないようにしています。

自分が残してきた言葉が直接相手のためにならなくても、それを耳に入れた他の人が「力になった」と喜んでくれることもあるのでそれはそれで嬉しいです。

 

ただ色んなことのしわ寄せが自分の中に澱のように残り続けることに疲れているし、困っています。こういうことを改善していくためにもっとできることがあると思います。

 

ちなみにこのブログは自分で自分を分かりたくて書いてます。外に出すつもりで文章を書くと話に流れを作らないといけないですし、そういうつもりで整理するからこそ理解や発見できるものもあるので、他人を分かりたいという意図がなくコメント欄も設けていません。他人に分からせたいという気持ちでもないので見ている方がいてもいなくてもどちらでもよくて、ただこんなふうに思いついたことを書ける場があることが嬉しいです。