仕事に対するコンプレックスというか悩みというかモヤモヤがありまして「今の仕事は自分が理想とする仕事ではない」という思いが心のどこかにあるのがずーっと気になっていました。
過去には理想とする仕事に就けたことはあったのですが、自分の得意とするものを人のために提供したり、提供先の方々と直接コミュニケーションを取って相手の状況を理解し、そのニーズに合ったものを用意したり…ということがなかなかできない環境だったので、それと比べると今の仕事の方が自分の得意分野を活かせるし、お客さんに合わせるということがやりやすいんですよね。
理想は理想、仕事は仕事と考えた時に、仕事としては今やっていることが今の自分にフィットしてるなと思います。
ただ「昔のように活き活きと理想を追いかけていた自分はもう死んでもうたんか」という寂しさもずっとありました。日々の仕事に励むことと、自分の信念に向かって生きること、どうやったら双方とも実現できるのだろうと悩んでいました。
一方で、仕事という活動は、その業務に元々存在するゴールにしか効果がないわけではないんですよね。
何年か前に、交通整理の仕事のために道に立っていらっしゃった方にとても素敵な笑顔でご挨拶していただことがあって、すごく気持ちがあたたかくなったことがありました。
ドルヲタであり、アイドルという仕事に憧れつつもそうはなれない自分に自信を持てない若者を多数見かける環境にいた私は、その時に「アイドルってステージの上に立って歌って踊る人だけを指すわけじゃないんだ。笑顔を通じて人の心に喜びを与えられたら、どこに立って何をしていたってもうアイドルなんだ」と感じたことがあります。
また過去には何年通院しても治らなかった病気が推しグループのおかげで治ったこともあります(大分内容を端折っているので書いていることが意味不明だと思いますが😂)。
推しグループもまさか自分達の仕事が人の病気を治しているとは想像していないと思います。医療行為をしているのではなく芸能界で音楽活動を行っているアイドルグループに命を救われて「仕事というものは、やっている側が価値の全てを決められる訳ではないんだ。受け取り手の状況よってもその効果が変わるものなのだ」と感じたんですよね。
だから「この仕事は理想と違うな」と決めてしまうのは視野を狭めるだけなのかもしれません。
「私の理想はこういう形で存在していて、その手段として有効なのはAという道だ」と自分が勝手に思っているだけで、Bという道やCという道を選んだって、真摯にコツコツやっていたら理想に近づけるのかもしれません。
そう考えるとやっぱり、自分が生来持っている性質を人のために活かしつつ更に伸ばしていける仕事を続けることが私なりの正解なのかなと思います。
人それぞれ得手不得手がありますし、どう頑張っても伸ばせない分野と伸びやすい分野をそれぞれに持っている中で、仕事としてやるならやっぱり他人に価値として提供できるものを選ぶ必要があります。
そして他人に価値として提供できているものに対して「でも理想とは違うんだよなあ。自分が社会に与えたいものはこれじゃないんだよなあ」と決めつけてしまうのはもったいないのでしょうね。
価値は価値なんだから、受け取り手の解釈や活用方法や意義付けも自由で幅広いわけで、ひょっとしたら思いがけない形で今の仕事が自分の理想に繋がっていっている場合もあるのかもしれないなと思いました。